e英会話の社長って
どんな人?
安井社長にインタビュー
公認会計士出身という異色の経歴でe英会話を率いる安井社長にいろいろと聞いてみました!
e英会話の社長を務める安井社長の素顔を掘り下げてご紹介します。
どうしてオンライン英会話?
社長自身も英語を学んだ経験はある?
などなど、普段はあまり聞けない社長の経歴や、英語学習に対する思いなどにも迫ります。
株式会社e英会話 代表取締役社長
安井 淳一郎 氏
e英会話の社長になられた経緯は?
僕は、それまでM&A(企業の買収・合併)の分野の仕事、具体的には、買収ファンドの運営やM&Aに関するコンサルティング業務を行っていました。コンサルティング業務のクライアントの中に、e英会話の前オーナーさんがいて、その方からe英会話(会社)の買収を提案されまして、2019年3月にe英会話を買収して社長に就任したというわけです。
前オーナーさんはe英会話の創業者の方からe英会話を買収したのですが、本業とのシナジーが発揮できないということで手放すことにしたようです。前オーナーさんは、買収後も創業者の方に社長を続けていただいていたのですが、僕は何でも自分でやってみる派(笑)なので、買収後に前社長(創業者)から社長職を引き継ぐことにしたんです。
e英会話のどういうところに可能性を感じたのですか?
朝から晩までずっと(9時~18時までランチタイム除く)授業が続き、まるで中高生の合宿みたいでした。授業は1コマ50分、マンツーマンの授業です。先生と2人きりだから逃げ場がない。それが一日7~8コマです。先生がつきっきりなので会話量が半端ない。なかなかしんどかったのですが、これだけ英語浸けになると、頭の中で英語の回路がつながっていく感じがしたんですね。英語の問いに対して英語で考えて英語で答えられるようになってきて、それを「英語脳」と言うのは後になって知りましたが、だんだんと英語で話すことに対するストレスがなくなっていったんです。
これはアリだと思いました(笑)
社会人になったら、まとまった時間をとって語学留学することは難しいですが、セブ島の先生とのオンラインレッスンであれば、社会人でもセブ島留学と同様な学習環境を提供できる、いわば「バーチャル留学」を実現できるのではないかと考えました。
フィリピンの先生の印象はどうでしたか?
(ネイティブではない)フィリンピンの先生がどうなのかという点も事前調査の対象のひとつでした。歴の短い先生などで多少訛りのある先生も居るには居るものの、アメリカンイントネーションの先生も多く、特に問題を感じたことはなかったです。
それに、フィリピン人は世界中の色々な業種で活躍していて、そのホスピタリティが評価されているのは知っていました。ネイティブの先生に高圧的な態度で教えられると、それだけでストレスになりますが、つねに明るく優しいフィリピンの先生方であればそういうストレスが少なそうだなとも感じました。長いレッスン時間を共にするのだから、その点はかなり重要です。
留学しての調査結果は上々だったのですね!
はい、事業としての可能性を感じたことは確かです。
ですが、僕は英語教育の専門家ではありませんし、特別英語が得意というわけでもないのに、そんな僕が英会話サービスの会社を経営できるんだろうかという不安はありました。それでも、自分自身がそれまで多くの英語学習を試してきた経験から、ユーザーの視点で英語学習サービスに何らかの貢献ができるのではと考え、e英会話の買収を決断しました!
英語とは関係のなさそうなM&Aの専門家だったということが気になりますが、社長の経歴を教えていただけますか?
もともと僕は公認会計士で、大手法人(現PricewaterhouseCoopers、PwC)に勤務していたのですが、その流れでM&Aの専門家になりました。会計士になったきっかけは、いわゆる「独立」志向だったからです。確実に独立するための方法として資格を取って専門家になろうと思ったんですね。もともと数字は得意な方だったので数ある資格の中から「公認会計士」を選びました。それで、大学入学と当時に受験勉強を始めまして、本当にラッキーなことに大学3年の時に会計士試験(当時の2次試験)に合格することができました。
公認会計士の資格を取得するとすぐに独立できるものですか?
いや、これが全く違ったんです(笑)
僕が受験した頃(大昔です)の公認会計士試験制度は(今は変わってしまいましたが)、1次試験から3次試験まであり、1次試験は大学2年間の教養課程を修了すると免除されましたので、大学生はたいてい2次試験から受験します。そして、2次試験を合格してもすぐには公認会計士にはなれません。1年間の実務補修所(夜間学校)への通学と、その後2年間の実務経験(主として監査法人にて)を終えて初めて3次試験の受験資格が与えられます。そして3次試験に合格するとようやく公認会計士になれるのでした。また、公認会計士の業務(特に監査業務)というものが、主として大企業向けのサービスでして、基本的にはチームで業務を行います。要は独立向けではなかったんですね(笑)
それで、少しでも独立に向いている分野ということで、監査部門ではなく税務部門に就職しました。1990年4月のことです。
税務部門に入られてどういう流れでM&Aの専門家になっていったのですか?
僕が就職した当時、PwCの税務部門では「企業評価」に関するサービスを立ち上げようとしていたんです。当時日本ではまだお馴染みではなかったDCF(Discounted Cash Flow)法という計算方法による評価業務でした。これはいわゆるコーポレートファイナンス理論の応用型なのですが、本当にたまたまなのですが、僕は大学の卒業論文で「コーポレートファイナンス」に取り組んでいたため、DCF法のことも何となく理解できたので、この業務に従事する唯一の「ペーペーの」スタッフになったのでした。そして、この評価スキルを武器として、M&Aや事業再生などの業務に従事することになりました。
ところで当時のPwCの税務部門は、トップがアメリカ人、スタッフの3分の1が外国人という構成でして、部署内の公用語も英語、仕事の半分近くが英語ベースでした。唐突に意図せず英語の洗礼を受けることになりました(苦笑)
それまでは英語を話されてはいなかったのですか?
特別な英語学習はしたことがなかったし、海外経験もなかったです。なので、この環境は苛烈でしたね。英語でのクライアントミーティングには強制的に参加させられるし、レポートも英語で書かなきゃいけない、英語ができることが前提でガンガン仕事を振られるんです。なので、日々生きていくためには英語の上達が必須でした。そのために、学校に行ったり、様々な教材で独学したりしましたが、結局は、習うより慣れろで、OJT(On-the-Job Training 職場内訓練)での学びが一番でしたね。
僕の英語力はこの時期にかなり鍛えられて、そのうち英語の会議でもある程度は理解できるようになったし、読み書きも契約書やクライアント向けの報告書を書けるレベルにはなりました。ただ、残念ながら会話は最後まで流暢にとはいかなかったです。特に電話での英会話は最後まで苦手でしたね。
外資系の会社で働いた経験から、(英語学習以外で)学びとなった経験などありますか?
会社を辞めて独立するきっかけになったのは何だったのですか?
「独立」志向でしたので、PwCに入って5年目くらいからは常に独立の機会を窺っていましたね。僕がPwCに勤めていた90年代は、バブル経済崩壊の後処理に追われた時代で、90年代の後半には、企業だけでなく銀行も経営破綻する時代でした。そして、それらを外資系の「ハゲタカファンド」が安値で買収していったのでした。僕はPwCにいてそのお手伝いもしていたので、当時よく言われていた「第二の敗戦」という言葉を強く感じていました。
それで、外資ではなく国内資本による買収ファンドを設立すべきと考えたんですね。特に、外資系のファンドの対象とならない中堅企業を対象にした買収ファンド、それが自分の目指す道ではないかと考えました。そして、2001年4月にPwCを辞めて、国内投資家からの出資だけによる買収ファンドを立ち上げました。
独立後の経緯を教えていただけますか
ファンドの設立直後から1年以内に2社を買収することができました。いずれもそこそこ知名度のある会社だったので、業界での知名度やメディアでの注目も浴びることとなりました。それこそ日経ビジネスとかにも取り上げてもらえたんですよ! 今となっては過去の栄光ですけどね……
ところが、買収の1年後くらいから買収先企業の業績改善の進捗が思うように進まなくなったり、次の買収案件を発掘できなかったりで、出資者との間で意見の相違が生じるようになりました。結果として、設立から2年ちょっとでこの買収ファンドの運営から外れることになってしまいました。今思えば未熟だったとしか言いようがありませんが…… アップルを追い出されたスティーブ・ジョブズと同じだなと思えば多少は気も晴れました(笑)
M&Aの専門家から事業会社の経営者になったということですね?
はい。PwC時代に、名前を出せば誰でも知っているような創業社長の方々とお付き合いをさせて頂き、その近くで仕事ぶりを見させていただいた経験から、彼らのような経営者をヒーローとして憧れていましたし、買収ファンドの運営を通じて実際に企業の経営に携わった経験から、より経営者への志向が強まっていたように思います。
S社のお話を頂いた時点で、S社の事業内容には何らの知見も経験もありませんでしたが、買収ファンド時代の経験から、何とかなるだろうと思ってました(笑)
以後、S社の社長としてS社の経営にあたっています。実は、S社を僕に売却したP社さんがe英会話の前オーナーさんだったのです。(ちなみにP社さんも創業社長による経営で事業を拡大され、IPOも果たされています)
※ちなみに、この後は公認会計士の業務を行わないと決めたので、2014年付で日本公認会計士協会に「業務廃止」届を提出しています。
なるほど、そうしてe英会話の買収につながっていたんですね。
ところで、経緯はともかく、e英会話については、社長ご自身の英語への純粋な関心から関与されたようにも感じますが?
確かにそうですね。僕はPwC時代に英語ができないと生きていけない環境に放り込まれた時から、ずっと英語学習法に興味関心を持ち、いろんな学習法を試してきました。そして、外資系の会社(=PwC)で働いた経験から、日本人の英語力の欠如(そして、英語力の無さゆえのビジネスチャンスの喪失)について問題意識を持っていましたので、英語教育に携わることには少なくない関心がありました。
ただ、2001年3月にPwCを辞めてからはドメスティックな仕事ばかりで英語を使う機会が減ってしまい、英語学習も「スローダウン」していましたので、e英会話のお話をいただいた頃(2019年頃)には、英語感が相当に鈍っていたように思います。
そんな中、e英会話のデューディリジェンスの一環として行ったセブ島への1週間の英会話留学で、僕の頭の中の英語に関する部分が大いに刺激されることになったのです。セブ島留学で英語浸けになったことで、かつて頭に叩き込んだ英語の知識が、「英語を喋る」神経と直結したような、そんな感じがしました。そして、自分が体験したことを他の多くの方にも体験していただきたいな、と。それが前にも言いましたが、e英会話に関わることを決めた一番大きな理由です。
私たちの知る社長は、英語のフリートークも得意な印象なのですが、セブ島の短期留学で劇的に変わったということですか?
きっかけになったのは確かだと思います。セブ島での短期留学が、僕の英語能力の再活性化と、その後の成長へのスタートポイントであったことは間違いありません。ただし、短期集中だけでは一時的に会話力がアップしても、継続しなければすぐに忘れてしまい、結果的に英語を話せるようにならないとも思っています。「短期集中」と「地道な継続」の繰り返しが良いと思っていて、僕自身もセブ島の短期留学から帰国した後、e英会話のレギュラーレッスン(1回30分の授業)を一定ペースで続けています。それ以外にもインスタグラムなどの動画を通じて英語のフレーズやリスニングのコツなども学んでします。そうして、おそらく人生で今が一番英語を話せています。PwCに勤めていたときに今くらいの英語力あったらもっと出世していたかもしれません(笑)
でも、片野君(注:当社顧問で社長の同級生)の方が僕の3倍は英語上手だけどね……。